遠い世界 2

歪んだ世界




黄昏時の車中は薄暗さを増していた。
手にした書類の文字が霞んで見える。
それは、暗さの所為だけではないようだった。
疲れているのだ。
このところめきめきと頭角を現してきた新手のテロリストの所為で、ジェレミアの仕事の量は増える一方だった。
自らを「ゼロ」と名乗るそのテロリストは神出鬼没で、敵ながら優秀な知能犯だ。
軍側の動きを全て把握しているかのようにこちら側の裏をかいては、難なく目的を達成し、煙のように姿を消す。
だから軍側では一度もその尻尾を掴んだことがない。
ゼロとの対戦成績は全戦全敗だった。
この占領国の統治を任せられているクロヴィスは、その存在に大いに焦りを感じている。
ゼロが勝利するたびに、ブリタニアの統治する現状に不満を持っている先住民族の抵抗活動が激しさを増しているからだ。
まるで救世主のようにゼロを崇める連中まで現れる始末だ。
たった一人のテロリストに掻き回されている状況では、焦るのも当然のことだろう。
しかしジェレミアは釈然としないものを、総督であるクロヴィスに感じていた。
ゼロが現れるたびに、その存在に怯えているようにも見える時がある。
それでいながら彼の命令は「ゼロの抹殺」ではなく「身柄の確保」なのだ。
明らかにおかしなことだ。
怯えるほど焦っているのなら、その存在を抹殺するのが妥当なのではないかとジェレミアは考える。
ゼロの正体に何か心当たりでもあるのかと、勘繰りたくなるのも仕方ない。
それを問うてみたところでクロヴィスの答えは「知らない」の一点張りで、仕舞いには逆切れされてしまうのだから、それ以上の質問は不可能だった。
そのゼロの所為で、ジェレミアは寝る間も惜しんで働いている。
仕事は嫌いではないが、体力と気力の限界は既に超えていた。
今日も先日起きたテロの現場の検分を兼ねた視察に借り出されて、一日があっという間に終わってしまった。
見えにくくなった書類の文字から視線を外し、車窓から見える紅く染まった街並みを眺めて、ジェレミアは溜息を吐く。
政庁に戻らずにこのまま私邸に帰ってしまおうか、と自分らしくない考えが一瞬脳裏に浮かんで、ジェレミアは慌ててそれを打ち消した。
疲れた頭を休める為に、ぼんやりと窓の外に流れる景色を眺めれば、夕暮れ時の公園の一角には高校生らしい制服を着た男女が仲良く肩を並べてベンチに腰掛けている。

―――・・・ああ、そう言えばこの近くにはアッシュフォード学園があったな・・・。

嘗ては伯爵家だったアッシュフォード家が、庇護を受けていた后妃の死去によって大分前に改易処分を受けたことは、ジェレミアも知っていた。
その後、アッシュフォード家の当主が実業家として成功を修めたことも、噂には聞いている。
そのアッシュフォード家が運営する学園がこの近くにあるのだから、二人はそこの生徒なのだろう。

―――若い者は気楽で羨ましいことだ・・・。

妙に年寄りじみたことを考えて、ジェレミアは苦笑を浮かべる。
そして、何気なく見えた少年の横顔にジェレミアは更に苦笑した。

―――あれは、確か・・・枢木?

下の名前までは思い出せなかったが、ブリタニア軍が侵攻を開始した当時、この国の首相だった息子が軍に入隊してきたことはジェレミアの耳にも届いていたし、顔もチェックした記憶がある。
だから、間違いないだろう。

―――軍籍にありながら女とデートとは、緊張感のない奴だ。

しかし、プライベートまで立ち入ろうとは思わない。
ただ、ちょっとした野次馬根性がジェレミアにあったことは確かだった。
だから、相手の顔を見てやろうと、枢木の隣にいる少女の方に視線を向けた。
夕暮れ時のことでもあったし、距離も遠い。
少女の顔ははっきりとは見えなかったが、夕日に映されたその横顔のシルエットに、ジェレミアは妙な胸騒ぎを憶えた。
どこかで会ったような気がしたからだ。
いや、見ただけだったかもしれない。
それがどこでだったのか、ジェレミアは咄嗟には思い出せなかったが、それでも胸の引っ掛かりは治まらなかった。
それが妙に気になって、通り過ぎることが躊躇われたジェレミアは、突然「車を止めろ」と命じて、車から降りると公園の中へと足を向けた。
人目を気にせず植え込みの中を掻き分けるようにして突然目の前に現れたジェレミアに、スザクは驚いたような顔をしている。

「キミは確か、枢木・・・一等兵だったかね?」
「・・・は、はい!」

純血派の筆頭であるジェレミアのイレブン嫌いは有名だった。
スザクもそれを知っている。
しかもジェレミアは高級官僚だ。
ナンバーズのスザクが直接目通りの叶う相手ではない。
それがなぜ今自分の目の前にいるのかが、スザクにはわからなかった。
だから、驚きよりも戸惑いの方が大きかった。
しかし、スザクの戸惑いを他所に、ジェレミアの視線はじっとルルーシュを見ている。

「あ、あの・・・」
「そちらのお嬢さんは、キミのガールフレンドかね?」
「い、いえ。か・・・彼女は僕のクラスメイトです」

緊張した声でそう答えて、スザクはちらりとルルーシュの様子を窺った。
ジェレミア・ゴットバルトの名前をルルーシュの口から聞いたことはなかったが、辺境伯の爵位を持つ彼が子供の頃のルルーシュの顔を知っていないとも限らない。
迂闊なことは口にしない方が得策だ。
ジェレミアから顔を背けるようにして俯いているルルーシュは、顔を見られたくないのだろう。

「・・・ちょっと顔を見せてくれないか?」
「か、彼女は、とっても恥ずかしがりやで、・・・その・・・ジェレミア卿のような立派なご身分の方にはお目にかかったことがないので、き、緊張しているのです。どうか許してやってはいただけませんか?」

慌ててスザクが取り繕うと、ジェレミアは我に返ったような顔をして、「そうか、それは悪いことをしたようだ」と、素直に詫びた。
いつもは人を見下したような顔をしている男が、こうも素直に謝るとは、正直言って思わなかった。
その意外性にスザクは少しだけジェレミアに親近感を感じる。

「あ、あの・・・すみません。そろそろ門限なので失礼してもよろしいでしょうか?」

親近感は感じても、ジェレミアの前に長居は無用だ。
適当な理由をつけて、この場からさっさと立ち去った方がいいに決まっている。
それでもジェレミアは諦めきれない様子で、俯いているルルーシュをじっと見つめていた。

「ちょっと待ってくれ、・・・名前を、聞かせてくれないか?」
「な、なまえ・・・ですか・・・?」

それはまずいだろうと、スザクは焦った。
姓は変えていても「ルルーシュ」の名前はそのままだ。
しかも、どこにでもあるような平凡な名前ではないのだから、ジェレミアにルルーシュの名前を教えることは、顔を見られるより余程危ない。
どうしていいのかわからずに、返答に窮して、ベンチに腰掛けたままのルルーシュをちらりと覗き見る。
諦めたような小さな溜息が聞こえたような気がしたと思ったら、ルルーシュはゆっくりと立ち上がった。
俯けていた顔をジェレミアに向けて、柔和な笑みを浮かべて見せる。
その横顔に、スザクは瞠目した。
ルルーシュとの付き合いは短くはないが、親友のそんな顔を見たことがなかったからだ。
穏やかさの中にも気品の漂うその笑顔に、ジェレミアは声を出すのを忘れて見入っている。

「私の顔に、なにか?」

笑顔を絶やさないまま、丁寧な言葉遣いでそう言ったルルーシュに、ジェレミアは慌てて視線を外した。
女性の顔を凝視するなど、いくら相手が少女でも失礼なことだと思ったのだろう。

「ど、どこかで、お会いしたような気がするのだが・・・?」
「気のせいです!」
「・・・は?」

ばっさりと決めつけられて、ジェレミアはどう返していいのかわからずに、大いに困惑している。

「し、しかし・・・確かに、どこかでお目にかかったような・・・」
「私は貴方とお会いした記憶はございません。どなたかと勘違いしているのです!」
「か、勘違い・・・?」

そこまできっぱりと断言されると、会ったような気がしたのは自分の勘違いだったのではないのかと、ジェレミアは思い始めているようだった。
ジェレミアはルルーシュの口先だけのハッタリに、完全に騙されかけている。
勘違いだったのだろうかと、真剣に考え込んでいるジェレミアに、「門限がありますので失礼します」と声を掛けて、呆気にとられているスザクの手を引くようにしながら、ルルーシュは夕闇の中を静かに歩き出した。

「ま、待ってくれ!」

引き止められて、足を止めてジェレミアを振り返ったルルーシュは、少し不機嫌そうだった。

「まだなにか?」
「名前を・・・、キミの名前を教えてくれないか?」
「・・・嫌」
―――ちょっとルルーシュ、その返事はマズイだろ!?

明らかに素に戻りつつあるルルーシュの態度に、スザクは焦っている。
ルルーシュは自分の態度など少しも気にしていない様子で、戸惑っているジェレミアをじっと睨みつけていた。

「なぜキミは、私に名前を教えてくれないのだ?」
「態度が気に入らないから」
「・・・態度?」
「人にものを尋ねる時はそれなりの誠意を見せてもらわなくては・・・ねぇスザク?」
―――なぜ僕に振る!?

スザクはおろおろと、うろたえることしかできない。

「では、どうすれば、キミの名前を教えてくれるのだ?」

なおも言い縋るジェレミアに、「そうですねぇ・・・」と、しばらく考えた後、ルルーシュの口許に笑みが浮かんだのをスザクは見逃さなかった。

―――ル、ルルーシュ・・・?

スザクは嫌な予感を感じて、その場から逃げ出したい心境に駆られる。

「手をついて頭を下げてお願いしてくだされば、教えて差し上げてもよろしいですわよ?」
―――な、なにを言っているんだキミは!?相手はジェレミア卿だぞ?

傲慢で自尊心の高いジェレミアに、そんな無茶苦茶な要求をしたら、その怒りをかうのは必然だ。
相手は貴族なのだから、それだけで充分に罪に問われる理由になる。
捕まって投獄されて、下手をしたら死罪を言い渡されてもおかしくはない。
それをわかっているのか、ルルーシュは未だに笑みを浮かべていた。
恐る恐るジェレミアに目を向ければ、困惑の色を更に深くして、呆然と立ち尽くしているその姿がスザクの目に留まった。
困惑はしているが、怒っている様子は見受けられない。
困惑と言うよりも、ジェレミアは躊躇っているようだった。

―――ジェレミア卿!?ま、まさかしませんよね?・・・土下座でお願いなんて・・・しないですよね?や、止めてください!そんな・・・女子高生の前で手をつくなんてみっともない真似は絶対に止めてください!!

心の中でそう叫んだスザクは、最早自分がどっちの味方なのかわからない。
親友の肩を持ちたいのは当然の気持ちだったが、目の前の上官の情けない姿を見るのは嫌だった。

「・・・お願いです。貴方の名前を、教えてください」
「そんなに気になりますか?私の名前」
「気になる・・・」
「どうして?」

ルルーシュの前で両膝を折り、両の手を地面につけ頭を下げて「それは・・・」と、ジェレミアは言葉を詰まらせた。
夕闇が濃くなった中でははっきりとはわからないが、僅かに覗いたジェレミアの顔が紅くなっているように見える。

―――・・・まさか、女装したルルーシュに・・・一目惚れしたとか、言わないですよね?

あり得ない。
いや、それはあってはならないことだ。

―――ご自分の歳を考えてください!相手は女子高生モドキですよ!?犯罪です!!都の迷惑防止条例に引っかかっちゃいます!・・・というより、ジェレミア卿って実はロリ・・・?そーゆー趣味があったんですかッ!?

疑念が渦巻く自分の思考に、スザクはくらくらとした眩暈を感じた。